『世論とメディア』④

先回話しでたまたま不正直な日本人に連続して出くわしてこのステレオタイプが強化されると、正直な日本人に会ってもこのステレオタイプは必ずしも壊れません。これまでのステレオタイプを堅持して、この日本人は正直者を装っているのではないかと考えてしまうのです。何か先に我々の中にあるイメージがありそのイメージに影響を受けると、イメージと異なるもの、そぐわないものは排斥してしまう。それが固定化されると偏見を生み出し強い排外主義、差別意識に転化しやすい。正確な情報というものをみんなが理解して行かないと、物事を建設的に考えることは出来なくなって行く危険性があるとリップマンは指摘します。事実だけではなくステレオタイプにフィクションを通して得られた類型も重ねられる。映画からも新聞からも影響を受けます。特に映画の影響力は大きく次に新聞で、読む言葉になって人々の心に食い込むのです。

『「『メインストリート」書いたシンクレア・ルイスのように大当たりをとるのは、大多数の他の人たちが自分の頭の中で人知れず言おうとしていることをはっきりと発言することに成功した人たちである。「君らは私の代わりにその事を言ってくれた」と言うわけである。彼らは新しい形式を打ちたてる。それは際限なくコピーされ、ついにそれすらもまた知覚に関する一つにステレオタイプになってしまう。そうなると二番での開拓者が大衆に“メインストリート”というものをルイスとは別の見方で捉えさせようとしても極めて難しい』

リップマンは新聞もステレオタイプからは逃れられないと指摘する。新聞報道は目の届かない環境と接触する主要な手段である。新聞は我々が関心を持っている外部世界の全容を表す真実の情報を我々に提供してくれる。
ほとんど全国津々浦々でそう考えられている。しかし新聞社の経営を支えているのは株主であり広告主である。新聞社は経済効果を期待する彼らのために編集者は限られた紙面の中にニュースだけでなくスキャンダルや犯罪やスポーツ、芸能ゴシップに人生相談などなど人々のステレオタイプに合わせた話題を盛り込むのです。

『ある状況のステレオタイプ化された一面だけに注目すればよいという省力主義、これまで自分が学んだことのなかったものにも目を注ぐことの出来るジャーナリストを見つける難しさ、読者を素早く引きつけるべしという経済的要請、ニュースの記述が不充分だったり不手際だったりして、期待が外れた読者の不興をかった場合の経済的危険、圧力はそうした各方面から加えられる。ニュースが出来るのは一つの事件の存在を合図することで真実を人々に伝えるような機能は無い』とリップマンは断言しています。

彼によればニュースが「一つの出来事が起こったことを知らせる合図」に過ぎないのに対して真実の機能とは「隠された事実をを表面に出しそれから相互に関連づけて、人間がそれに基づいて行動できるように現実の情景を作る」ことにある。つまり偶発的な体験や偏見を越えて人々が決定を下せるように認知でき、測定しうる形に状況を知的に再構成して行く過程で真実の機能とニュースの機能が、はじめて合致する、ということを彼は強調した。

それから番組を制作する側にもステレオタイプというものがある。新聞だったら新聞記者だったりするでしょう。だから《ニュースイコール真実なのか》と言うことに関しては即座に思うことは危険だと思います。「ニュースと真実とは区別すべきだ」、新聞には客観性があるという方が多いのですけれど《中立的なメディア》は幻想とリップマンは言っているのです。
2018年5月26日 直 晴児

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