「大地の子」誕生秘話(4)

山崎の目は次第に養父母の方へと向けられて行く。かっての敵国の子供に愛情を注いで育てた養父母たち。
「(子どもに)日本に帰りたいと言われた時、どんな気持ちでしたか」
山崎は心に重荷を感じながらもこう質問する。
養父母の思いはさまざまだった。ある養父母はこう答える。
「『恩知らず』と喚きました。可愛くて離せません」
別の養父母はまたこう答えた。
「私の涙は大きなティカップ2杯は溜まっていると思う。でも日本への帰国も黙って受け入れました。」
中国の養父母は強かった。中日友好のため、日本の両親と息子の幸せのためと自らに言い聞かせての決断だった。養父母も泣き、居合わせた親族も泣き、山崎も泣いた。涙に明け暮れた取材が続いた。

やがて胡耀邦との3回目の会見(1986年10月)が成った。山崎は胡に率直に思いをぶつけ繰り返しこの小説は中日友好の証として、中日合作、外交にも劣らない意義のあることですと説き、重ねて中国側の取材協力をお願いした。
「小説を書き上げるまでこれから3年か4年かかります。その間に私がもし書けなくなって挫折しそうになったら励まして下さい」
山崎は『胡は山崎にこれまでは余裕を持って協力を約束してきたが、今回の胡耀邦は過去2回の会見とはやや異なる感じだった』と言う。
「外国の作家で3回も会見したのは貴方だけですよ。私が(胡が)4年後にいるかどうか分かりません。3年後にいるかどうかも・・・。より若い人と友達になって下さい。大作の成功をお祈りしています。」と胡の言葉はこれまでと違った言い回しだった。
「今、総書記は3,4年後には私はいなくなると言いましたがそれはダメです。完成まで最低5年、最低5年は総書記で居なければいけません」
胡は食事中も絶えず煙草を吸い、無表情で落ち込んでおり余り笑わずイライラしていた。
胡総書記は日本の総理大臣中曽根康弘と個人な信頼関係を築き、歴史認識を巡る溝を埋め、日本との友好を深めようとしてきた。その中曽根が靖国神社を公式参拝したことにも柔軟に対応し、教科書問題など、両国の歴史認識の違いでも抑制した態度をとった。これら親日的な姿勢が中国国内の保守派内に日本への批判が高まり胡総書記の立場を微妙なものにしていた。
会見の様子を“胡総書記は1回目と2回目の会見は和やかに談笑し大国中国指導者の気品があったが今回は失せていた印象だった、”と通訳に当たった夏剛氏はいい、山崎は“胡耀邦総書記の立場が窺い知れるような気がした”と述懐している。
会見の記録は山崎が持ち込んだテープレコーダーによって全て録音されていた。中国側の好意だった。お互い再会を約束した別れだったがこれが最期となった。
2018年5月18日 直 晴児

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