「大地の子」誕生秘話(5)

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この第3回会見の僅か3ヶ月後の1987年1月16日の政治局拡大会議で胡耀邦は総書記を解任され、その2年後1989年4月、将に坂道を転げ落ちるような境遇の中で失意のうちに死亡した。73歳だった。作品の完成を見届けることは出来ず、山崎との約束の5年にまだ2年半残っていた。

訃報に接した山崎はすぐ中国へ飛び唯々慰霊の前で泣き崩れるばかりだった。胡耀邦の死後中国国内の民主化要求は『胡耀邦同志は永遠に不滅だ』『自由万歳』『民主万歳』を叫び大きな高まりを見せた。この高まりがやがて天安門事件の導火線となって行く。
「大地の子」は1991年(平成3年)に文藝春秋で単行本全3巻が刊行され、山崎は中国へ飛び胡耀邦の墓前に捧げた。執筆を開始してから8年の歳月が流れていた。長いながい遙かな道だった。

今回胡耀邦の三男の胡徳華(とくか)さんがNHKの取材に応じてくれた。氏は次のように語る。
「私の父は山崎さんが中国に来ていると聞いて、絶対に会いたいと言っていました。中日両国の友好は民間が大きな役割を果たさなければならないというのが父の持論でした。『大地の子』は中日両国の人々の友好を進めるのに非常に素晴らしい題材です。そこで父は山崎さんに『大地の子』を書き上げて欲しいと願っていました。」
書斎には「大地の子」全3巻が威を誇るように収められていた。山崎が胡耀邦と約束した「大地の子」創作に懸けた中日友好の思いは成就したのだろうか。「大地の子」は日本では高い評価を得、目的は成就されたと思われるが、中国では必ずしも成功作とは思えない。その証拠に中国ではいまだ出版が許可されてはいない。
山崎豊子の描く小説は小説の域を越えている。歴史の証人と言っていい。戦争を起訴するならその罪状を余すところなく証言してくれる文学なのである。
終わり。
2018年5月19日 直 晴児


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